こんにちは、歴史が好きな嵐ねずみです。
今日は12月14日、忠臣蔵の日らしいです。
僕はマンションに住んでいるんですが、いつも使うエレベーターには毎日『〇〇の日』というように、今日が何かしらの記念日だということを教えてくれます。
そして今日エレベーターから教えられたのが『忠臣蔵の日』だったというわけです。
この〇〇の日を毎日記事にしていったら面白いなーと思いいまに至りました。
どこまで続けられるかは分かりませんが毎日何かの記念日をエレベーターに教えてもらい、記事にして行けたらなと思います。
忠臣蔵の日とは
1702年12月14日、赤穂藩(あこうはん)の浪士47人が江戸・本所松坂町の吉良邸に討ち入りし、主君の仇討ちを成し遂げました。
ときどき耳にする『忠臣蔵(ちゅうしんぐら)』という言葉ですが、これは人形浄瑠璃の『仮名手本忠臣蔵(かなてほんちゅうしんぐら)』という演目からきています。
実際にあった『赤穂事件』を題材にしており、『仮名手本』とはひらがな47字の習字の手本のことで、赤穂浪士47名にかけているそうです。
『忠臣』とは忠義な家来のことを意味し、『蔵』は討ち入りの指導者である大石内蔵助良雄の『蔵』からきています。
赤穂事件を簡単に説明すると、江戸城内にて赤穂藩主の浅野内匠頭長矩(あさのたくみのかみながのり)が幕府高家の吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)を切りつけ怪我を負わせました。
激怒した5代将軍徳川綱吉は赤穂藩主のみ即日切腹となり、吉良はお咎めなしという理不尽な命が下され、これを不服とした赤穂浪士は吉良邸に討ち入り吉良上野介義央を打ち取ります。
これが赤穂事件ですが、この事件を知った徳川綱吉は「天晴れ」と関心したそうです。
しかし、殺傷事件ということで赤穂浪士47名は切腹となります。
このことから『忠臣蔵』という言葉は、自らの命をかけ忠義を尽くすといった意味で使われることもあります。