【9月30日】今日は何の日?【愛知用水完成】

記念日のあれこれ
嵐ねずみ
嵐ねずみ

こんにちは、池ってなんかいいよね…と思う嵐ねずみです。

今日は9月30日、愛知用水完成らしいです。
僕はマンションに住んでいるんですが、いつも使うエレベーターには毎日『〇〇の日』というように、今日が何かしらの記念日だということを教えてくれます。
そして今日エレベーターから教えられたのが『愛知用水完成』だったというわけです。
この〇〇の日を毎日記事にしていったら面白いなーと思いいまに至りました。
どこまで続けられるかは分かりませんが毎日何かの記念日をエレベーターに教えてもらい、記事にして行けたらなと思います。

愛知用水完成とは

1961年9月30日、愛知県の尾張丘陵から知多半島にかけての一帯に、農工業、上水道用の水を供給するための愛知用水が完成しました。

この愛知用水は1012mもの長さがあります。

知多半島の地形は台地状のため、木曽川や矢作川といった大河川は知多半島を避けるように海に続いています

また、地質的にも地下水を得にくく、大きな川もないため、雨が降ってもすぐに干上がります。

知多の豊作米食わず』という”ことわざ”があるらしく、知多半島が豊作のときは他の地域は水害で米ができないという意味だそうです。
それほど知多半島は水不足に苦しんでいました。

この愛知用水は地域の生活はもちろん、産業の発展にも大きな貢献をしました。

愛知用水の立役者、久野庄太郎

当時の知多半島では田んぼに水を張るのに、ため池から桶で汲んでいました。

一段目の田んぼに水を汲んだ後は、一段目の田んぼの水を二段目の田んぼに移して…

気の遠くなるような作業をしていました。

農家だった久野庄太郎さんは『水さえあれば、皆が幸せになれる』という確信があり、愛知用水を造ることに尽力しました。

久野さんの呼びかけにより多くの同士が集まり、用水設置の運動は大きくなっていきました。

当時の総理大臣である吉田茂首相の面会時には、40分にわたる陳情により、国の政策として用水路建設が進められることになりました

まさに久野さんなくして愛知用水はありませんでした

嵐ねずみ
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普段当たり前に使っているものも、歴史を辿れば先人の思いが伝わり感動します。

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