こんにちは、エジプトに行ってみたい嵐ねずみです。
今日は1月3日、ツタンカーメン王の墓発見らしいです。
僕はマンションに住んでいるんですが、いつも使うエレベーターには毎日『〇〇の日』というように、今日が何かしらの記念日だということを教えてくれます。
そして今日エレベーターから教えられたのが『ツタンカーメン王の墓発見』だったというわけです。
この〇〇の日を毎日記事にしていったら面白いなーと思いいまに至りました。
どこまで続けられるかは分かりませんが毎日何かの記念日をエレベーターに教えてもらい、記事にして行けたらなと思います。
はじめに、なぜ1月3日が『ツタンカーメン王の墓発見』の日なのか調べても一切手掛かりがつかめず分かりませんでした。
エレベーターには『ツタンカーメン王の墓発見』とありましたが、実際に発見されたのは11月4日のため、おそらく間違いだと思います。
ツタンカーメン王の墓発見とは
1922年11月4日、エジプトの王家の谷にて第18王朝ツタンカーメン王の墓が発見されました。
イギリス生まれのエジプト考古学者であるハワード・カーターにより発見された墓は、ほとんど盗掘を受けておらず、黄金のマスク含め数多くの副葬品が無事に残っていました。
これはすごいことで、3000年以上の歴史が経過しても無事だったことは驚くべきことです。
ハワード・カーターはイギリスのカーナヴォン卿から資金援助を受け、発掘作業を行っていましたが失敗続きでした。
しかしカーターはツタンカーメン王の墓は王家の谷に絶対にあると考えており、ラストチャレンジということで発掘作業を行った結果、見事引き当てました。
発掘作業を開始して5年もの歳月が経っていました。
カーターは優れた考古学者であり、古代都市テーべの発掘にも長年取り組んでいました。
また、古代エジプトの埋葬に携わった人々のことも研究していました。
もう掘りつくしたと言われた王家の谷でのこの発見は、決して偶然ではなく、まさにカーターだからこそ成しえた偉業です。
カーターは墓の壁を発見した際、壁を壊し先に進みたい気持ちを堪え、初めて壁の先へ行くのは発掘作業をずっと支えてくれたカーナヴォンであるべき。と思い電報を送りました。
そして11月24日にカーナヴォンとカーターはツタンカーメンの墓を完全に突き止めました。
カーナヴォンは墓の公開直後に急死してしまい、発掘に関わった関係者が次々と不遇の死を遂げました。
これは『ファラオの死』や『王家の呪い』、『ツタンカーメンの呪い』と言われ恐れられていました。
しかし、実際に亡くなったのはカーナヴォンのみであり、マスコミのでっち上げでした。